[歴史①]日本史

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稲荷信仰


稲荷信仰とは

稲荷信仰の定義・意味など

稲荷信仰(いなりしんこう)とは、稲荷神とその眷属(けんぞく。神の使)である霊狐に対する信仰をいう。

参考:三省堂 『スーパー大辞林』

神社

伏見稲荷大社

稲荷信仰は伏見稲荷大社を総本山とし、各地に稲荷社(稲荷神社と呼ぶ)が勧請された。

参考:岩波書店 『広辞苑第六版』

その多くは、赤い鳥居のある社である。

参考:三省堂 『新明解国語辞典 第四版』

稲荷信仰の歴史・沿革・由来・起源・経緯など

稲荷信仰は8世紀の奈良時代にまで遡る。

『山城国風土記』によると、かつて山城国(京都)一帯に居を構えていた豪族である秦(はた)氏の先祖・伊呂具秦公(いろぐはたのきみ)が稲をたくさん持ち、栄えていた。伊呂具は米が豊富にあるのでそれで餅を作り、的にして矢を放とうとした。するとそのとき、餅が白鳥になり飛んでいった。その白鳥が降り立った地に新たに稲が生じたといい、その場所が伏見稲荷大社のご神体である稲荷山(京都市伏見区)である。秦氏はそこを稲の神が鎮座した地として敬い「伊奈利(いなり)社」を建てた。「伊奈利」は「稲生る」が転訛したと考えられる穀物神であり、それを秦氏が一族の氏神として祀った。

これが稲荷信仰の起源だと考えられている。

一個人別冊 『完全保存版 日本の神社の謎』 KKベストセラーズ、2013年、40-41頁。

このように稲荷信仰は食物神(農耕神・穀物神)への崇敬として発祥したが、商業神・漁業神・殖産興業神・屋敷神など多様な信仰形態をとるようになった。

参考:三省堂 『スーパー大辞林』

稲荷信仰の発祥の地
稲荷山

稲荷信仰の発祥の地は、伏見稲荷大社のご神体である稲荷山(京都市伏見区)である。

稲荷信仰の位置づけ・体系

宗教法人となっている神社は約8万社あるが、そのうち約3万社が稲荷神社で占められている。

文化庁編『宗教年鑑』平成26年版

平凡社 『世界大百科事典』



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