柳条湖事件(南満州鉄道爆破事件・柳条溝事件)
柳条湖事件とは
柳条湖事件の定義・意味など
柳条湖事件(りゅうじょうこじけん)とは、1931年(昭和6年)9月18日に関東軍参謀石原莞爾(かんじ)らが石原の「世界最終戦論」にもとづいて奉天(現在の瀋陽市)郊外の柳条湖で日本が所有する南満州鉄道を爆破した事件をいう。
参考:『詳説 日本史』 山川出版、1978年、306頁。
柳条湖事件の別名・別称・通称など
南満州鉄道爆破事件・柳条溝事件
柳条湖事件は南満州鉄道爆破事件ともいう。
また、かつては柳条溝事件といわれてた。
柳条湖事件の原因と結果
原因・背景
満蒙の危機
中国では1928年(昭和3年)に中国国民党の指導者蒋介石による北伐が完成し、蒋介石が中国国民政府主席に就任した。
以後、国民政府は不平等条約撤廃等をめざす外交政策(国権回復運動)を推進し、公式に満州における日本の権益回収の意向も表明するにいたった。
参考:『授業の理解から入試対策まで よくわかる日本史』 学研教育出版、2013年、324頁、『チャート式 新日本史 近代・現代編』 数研出版、2004年、132頁、『詳説 日本史』 山川出版、1978年、306頁。
加えて、1929年(昭和4年)の世界恐慌後、ワシントン体制を主導してきたアメリカは国際社会を指導する気力を喪失していったが、アメリカの後退は東アジア情勢の変化を決定的にする効果をもたらした。
『授業の理解から入試対策まで よくわかる日本史』 学研教育出版、2013年、324頁。
陸軍とりわけ関東軍は危機感を深め、こうした「満蒙の危機」を打開するため、武力によって満州を中国の主権から切り離して日本の勢力下におこうと計画し、柳条湖事件を起こした。
参考:『詳説 日本史』 山川出版、1978年、306頁。
結果
満州事変
石原らは事件を中国軍のしわざとして軍事行動を開始し、満州事変が始まった。
『詳説 日本史』 山川出版、1978年、306頁。
柳条湖事件と関係する概念
- 張作霖爆殺事件
- 満州事変
現在のページが属するカテゴリ内のページ一覧[全 2 ページ]
現在のページが属するカテゴリのサイトにおける位置づけ