張作霖爆殺事件
張作霖爆殺事件とは
張作霖爆殺事件の定義・意味など
張作霖爆殺事件(ちょうさくりんばくさつじけん)とは、1928年(昭和3年)6月4日、北京から満州の奉天に帰る途中の張作霖が関東軍の一部の独走により(具体的には、関東軍の河本大作らに)爆殺されたとされる事件をいう。
参考:『詳説 日本史』 山川出版、1978年、300頁、『五訂 必携日本史用語』 実教出版、2015年、346頁。
張作霖爆殺事件の原因と結果
原因・背景
張作霖は北京にいて日本と密接な関係をもっていた満州軍閥の巨頭である。
この張をなぜ日本人が爆殺したかについて、山川出版の『詳説 日本史』(昭和53年度)では、張がかならずしも日本軍部に忠実でなくなった
という記述がある。
『詳説 日本史』 山川出版、1978年、300頁。
また、『チャート式 新日本史 近代・現代編』でも、田中首相は、満州の権益確保のためなおも張の利用を考えていたが、関東軍は、必ずしも忠実でなくなった張の下野を望み、特に河本は、張爆殺の混乱に乗じて関東軍を出動させ、満州占領を企図とした
とある。
『チャート式 新日本史 近代・現代編』 数研出版、2004年、129頁。
結果
立憲民政党は満州某重大事件として田中内閣を追及し、事件処理をめぐり天皇の信任も失って田中内閣は総辞職した。
『五訂 必携日本史用語』 実教出版、2015年、346頁。
張作霖爆殺事件の意義・評価・解釈
張作霖爆殺事件は関東軍の一部の独走によるものとする定説によれば、この事件は、その後の柳条湖事件・満州事変、そして、アジアでの第二次世界大戦(太平洋戦争)の端緒となった日本による中国侵略(盧溝橋事件・日中戦争)の引き金(発端・第一歩)であり、それを裏付ける有力な歴史的事実とされている。
元谷外志雄 『誰も言えない国家論』 産経新聞出版、2010年、12・41・45頁など。
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