歴史観―自虐史観(東京裁判史観)
自虐史観とは
自虐史観の定義・意味など
自虐史観(じぎゃくしかん)とは、太平洋戦争(大東亜戦争)後の日本の社会や歴史学界、教育界の一部(日本教職員組合など)における、日本の歴史(主に近現代史)の負の部分をことさらに強調する一方で、正の部分を過小評価して日本を貶める(具体的には「日本は悪である」「日本は侵略国家である」「日本が中国を侵略したために太平洋戦争に突入した」とする)歴史観をいう。
参考:自虐史観 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/自虐史観。東京裁判史観 http://www.geocities.co.jp/Bookend-Yasunari/7517/nenpyo/yougo/tokyosaiban_shikan.html
自虐史観の経緯
戦後の日本の歴史観を自虐史観であると批判する論者は、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)による占領政策中の極東国際軍事裁判(東京裁判)、GHQの民政局が台本を書きNHKに放送させたラジオ番組「眞相はかうだ」、公職追放を通じて、大半の国民に自虐史観=「日本は悪である」「日本は侵略国家である」が刷り込まれた、と主張する。
参考:自虐史観 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/自虐史観。元谷外志雄 『誰も言えない国家論』 産経新聞出版、2010年、12頁。
自虐史観の目的・役割・意義・機能・作用など
自虐史観を批判する論者は、自虐史観により、GHQに迎合するかたちで、連合国側などの立場に偏った歴史観を日本国民に植え付け、これにより、戦前の日本国民が共有していたすべての価値観は根底から否定され、自分の国(の歴史)に誇りを持てないという意識が生まれた、と批判する。
参考:自虐史観 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/自虐史観
自虐史観の批判的論者
戦後の日本の歴史観を自虐史観であるとして批判する論者としては、次のような者がいる。
- 藤岡信勝
- 渡部昇一
- 西尾幹二
- 江藤淳
- 藤原正彦
- 元谷外志雄
- 田母神俊雄
参考:自虐史観 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/自虐史観
たとえば、アパグループCEOの元谷外志雄氏はその著『誰も言えない国家論』で次のように述べている。
私は今、「真の近現代史観」を広める活動を行っています。今日本で教えられたり、報道されたりしている歴史は真実ではありません。その結果、国民は自国に誇りと自信が持てず、中国などに謝罪外交を繰り返しているのです。
…
日本は東京裁判史観に苦しんでいます。「日本が侵略戦争を始めた」という嘘の歴史を基に、中国や韓国、アメリカが日本をいまだに貶めているのです。
元谷外志雄 『誰も言えない国家論』 産経新聞出版、2010年、40-41頁。
大切なのは歴史教育だ。私は今の歴史教科書のうち、近現代史に関しては東京裁判史観が支配していて全く不満だが、それについては国民の大半が声を上げ、先の大戦後に日本を統治したGHQ(連合国軍総司令部)が永遠に日本を間接支配するために作った思想に基づく日教組による間違った教育を排除し、GHQが押し付けた日本史ではなく真の日本の歴史(国史)を教えなければならない。
元谷外志雄 『誰も言えない国家論』 産経新聞出版、2010年、220頁。
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