[歴史①]日本史

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日中戦争(北支事変・志那事変・日華事変・日支事変)


日中戦争とは

日中戦争の定義・意味など

日中戦争(にっちゅうせんそう)とは、1937年(昭和12年)から1945年(昭和20年)までの日本と中華民国との全面戦争をいう。

日中戦争の別名・別称・通称など

北支事変・志那事変・日華事変・日支事変

日中戦争ははじめ北支事変、ついで志那事変日華事変日支事変)などと呼ばれた。

日中戦争の原因・背景

一般的には日中戦争の発端は盧溝橋事件とされる。

高校の教科書・参考書、辞書・事典類など

しかし、7月11日に現地では交渉が行われており、停戦協定が成立している。

その後、日本政府が派兵を決定した(同年7月11日)後、大紅門事件(同年7月13日)に続き、中国共産党の国共合作による徹底抗戦の呼びかけ(同年7月15日)、蒋介石の「最後の関頭」談話における徹底抗戦の決意の表明(同年7月17日)による、中国軍の日本軍と日本人居留民に対する攻撃(日本軍への攻撃としては郎坊事件(同年7月25日)・広安門事件(同年7月26日)、日本人居留民への攻撃としては通州事件(同年7月29日)など)、そして、第二次上海事変(同年8月13日)によって戦闘が本格化したこと、また、西安事件を契機として第2次国共合作が実現したこと(同年)もあわせて考慮すると、日中戦争の端緒は中国軍の攻撃と考えることもできる。

参考:https://ja.wikipedia.org/wiki/盧溝橋事件

たとえば、『必携日本史用語』(実教出版)では日中戦争を1937~45年、盧溝橋事件を契機にはじまった中国侵略戦争と定義しているが、日中戦争(支那事変)の端緒を、盧溝橋事件と考えるか、国共合作・最後の関頭談話を契機とする中国軍の攻撃と考えるかにより、同戦争の歴史的な評価は大きく変わることになる。

https://ja.wikipedia.org/wiki/盧溝橋事件

日中戦争の位置づけ・体系(上位概念等)

大東亜戦争

東条内閣は1941年の対米英開戦直後に1937年からの日中戦争を含めて大東亜共栄圏の確立という意味で大東亜戦争と命名した。



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